今日でやっと「文法の話」をしたいと思います。
前回のアンケートのそのそもの質問は
・「a an がどうして必要なのか」…つまり冠詞の質問でした。
そして、質問項目の最初は、
・これを「まとめて覚えることが楽かどうか?」
そして、2番目は
・「これを<細かいこと>と思えるか、思えないか」
そして3番目は、
・これを「気にするな!」と言われて気にしないことができるかどうか?
でしたね。
まとめます!
●中学の過程で英語が嫌いになる人は、こうなることが多いと思うのです。
・文法の疑問が湧く⇒でも先生はその疑問を教えてくれない(教えられない)。
⇒だから不快。
・先生は、文法を度外視し、丸暗記を強要する⇒でも、自分にとっては丸暗記が苦しい
⇒だから不快。
・先生は、細かいことだ! と断言する⇒でも自分にとってはとても気になり大事に思える。
⇒だから不快。
・先生は「そんなことは気にするな!」と言う⇒自分にとっては気にしないことが不可能。
⇒だから不快。
↑こういう人は「文法が必要だ」と思うのです。どうでしょうか? そこの文法不要派の皆様?
私なら喜んで文法を教えます。(^^)(というか、私は文法しかできませんからw)
でも、一般に、英語が得意な人はこの先生のように「文法の知識が乏しい人」なんです。
●一方、中学の過程で英語が嫌いにならない人は、こうです↓。
・文法の疑問が湧かない。
⇒不快でもなんでもない。(むしろ文法を考えるほうが不快)
・先生は、文法を度外視し、丸暗記を強要する⇒でも、自分にとっては丸暗記が楽。
⇒だからむしろ快感。
・先生は、細かいことだ! と断言する⇒自分にとっても細かいと思える。
⇒だから、先生にも「細かいことだ」と言われれば、むしろ安心する。
・先生は「そんなことは気にするな!」と言う⇒自分にとっては最初から気にしていない。
⇒だからなんでもない。
↑こういう人は「文法が不要だ」と思うのです。どうでしょうか? そこの文法必要派の皆様?
また、こう人ばかりが、英語が好きになっていくのです。
またこういう人が普通英語の先生になります。(英語が嫌いな人が普通英語の先生になるでしょうか? 私がかなり特殊な人間なんですw)
つまり、文法が詳しくない人ばかりが英語の先生になります。
ここに、恐怖の「英語の才能がある人しか英語が得意になれないサイクル(クリックしてください)」が存在するわけです。
ここまでで私の主張がだいぶ明らかになってきたと思います
それは
英語の才能がない人は文法が必要。
英語の才能がある人は文法が不要。
才能がはっきり区別できない中間ぐらいの人もいる。
と言うことですね。ここまでよろしいでしょうか?
--------------------------------------------------------
ここでちょっと変な話をします。
「中学からの文法必要派」は、文法が分かると、英文がわかります。
つまり「必要派」は文法をやればやるほど英語の不快さが取れるのです。
ところがどっこい!
「中学からの文法不要派」は、文法なんか知らなくても、英文が分かります。
むしろ、文法が邪魔でしかない。でもたまに学校でこの邪魔なこと(=文法)をやらされます。
つまり、「不要派」は文法に触れれば触れるほど、英語の不快さが増すのです。
ここが、大きな違いであることがわかりますか?
「必要派」は文法をやればやるほど英語の不快さが取れて喜ぶのに
「不要派」は文法をやればやるほど英語の不快さ増大して苦しむのです。
ここもよくネットで火種になります。
ネットで「文法の解説ばかり掲示板でしていた」ら、昔こんな投稿がありました。
「そんなに文法ばかりやったら英語が嫌いになっちゃいませんか?」
典型的な「不要派」の意見でした。
ご心配なく!
私は最初からこの世の誰よりも英語が嫌いです。
むしろ、「文法ばかりやったら英語が嫌いになっちゃいませんか?」と言われるほうが、よっぽど私を英語嫌いにしてしまうのです。
この出来事で私はさらに英語に対して憎悪が増しました。
でも、たぶんこの人は、なぜ私が文法ばかりやっても英語が嫌いにならないのか、永遠に分からないと思います。
みなさんは分かるでしょうか?
--------------------------------------------------------
ちと脱線気味でしたね。ごめんなさい。
次回は「才能がはっきり区別できない中間ぐらいの人」について話します。
明日はいつもの文法放送。この続きは月曜日です。