【先入観】
日本の学校の英語教育は文法を過度に重視し、会話を軽視し続けてきた。だから日本人は英語ができない
【矛盾点】
戦後、文法が過度に重視された時期など1度もない。
科目として「英文法」というものがあった時期は1度もない。
さらに、昭和44、45年(1969、1970年)以降、文法は軽視され続け、会話が重視され続けてきた。さらに平成元年(1989年)からはかなり会話が重要視されるようになった。
【現実】
ここに戦後の学校英語教育の変遷を辿ったwebページがある。
■第6章 学習指導要領における英語教育観の変遷
ただ↑こちらはあまりにも長く、わかりにくいかもしれないので、要点だけ書く。(5つ)
1、昭和35年(1960年)の高校の英語教育は、「学年が上がるごとに、[聞くこと・話すこと]から、[読むこと・書くこと]に重点が移るようになっている」(文法が【まだ重視している】と言って無理にでも言えるのは、たかだかここからの10年ぐらいである)
ここ以後はどうでろうか?
2、昭和44、45年(1969、1970年)からは徐々にコミュニケーションに力が加えられて行く。科目の1つとして「英語会話」が加えられた。単語数も減った。
3、昭和52、53年(1977、1978年)からは、中学で習う文法事項が減らされ、その分は高校にまわされる。単語数も減る。
4、平成元年(1989年)から、かなり会話に重点が置かれる。
>外国語科の改善の基本方針として,「聞くこと・話すことの言語活動の,一層の充実をはかること」,「国際理解をつちかうこと」,「指導内容の重点化・明確化と発展的,段階的指導」が掲げられ,学習指導要領の改訂を求めた。同年,JETプログラムが発足している。(JETプログラム=英米から、英語を母国語とした外国人をガンガン日本に呼び寄せて、アシスタントティーチャーとして雇う)
さらに、科目として「オーラル・コミュニケーションA,B,C」というものができた。
5、平成10年(1998年)から、いわゆるゆとり教育の影響で。習得英単語数が減る。
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日本の学校の英語教育は文法を過度に重視している、という考えはどこから生まれたのだろう? なんとかその時期を探れば、昭和35年(1960年)〜昭和45年(1970年)の10年間だ。この時期は、学年が上がるににつれて、聞くこと・話すことに重点が置かれなくなったのは事実だ。しかしその所為だろうか? この間はたかだが10年である。
会話に重点が置かれ始めた昭和45年(1970年)に高校生になった人は現在57〜58歳。
さらに会話が重点が置かれた平成元年(1989年)に高校生になった人は現在39〜40歳である。
会話にかなりの重点が置かれた平成元年以降、もう20年以上になっている。
また見てわかるように、科目として「英文法」というものがあった時期は1度もない。
なぜになぜ
日本の学校の英語教育は文法を過度に重視し、会話を軽視し続けてきた。だから日本人は英語ができない
というふうに思う人が多いのか?
よほど文法が嫌だったのではないかと思われる。しかし私に言わせれば「大してやってないのに、沢山やらされた」と思い込んでいると思う。それは嫌だったからに他ならない。嫌なものは印象が強く残るものだ。(なお、私は英語そのものが嫌いである)
安心しよう。会話に重点が置かれ始めた昭和45年(1970年)以来、もう43年もたっている。
過度に会話に重点が置かれ始めた平成元年(1989年)以来、もう24年もたっている。
⇒その結果、三単現のSさえできない高校生が沢山生まれているのだ。
これは文法軽視の結果ではないのだろうか?
今週の金曜日はいつもの文法学習です。この続きは来週の月曜日です。