文部科学省のお偉方や、多くの英語の先生などは、「日本にもっと英語を広めよう」と考えているように思う。
「英語が使える人がもっと増えるべき、できれば全国民が英語を喋れるようになるべきだ」
と考えている。その崇高な目的を掲げて、邁進(まいしん)しているように思う。
では、冷静に考えて「どうすれば増えるのか?」を考えよう。
まず、「今」英語を実際に喋れる人・使いこなしている人のほとんどは、学生時代(主に中学高校時代)、英語の成績はどうであったあろうか?
99.99%「得意であった」に違いない。
つまり、「学生時代(中学高校時代)、英語の成績がいい人だけ」⇒「今」英語を実際に喋れる人・使いこなしている人になっているはずである。
「学生時代(中学高校時代)、英語の成績がいい人だけ」が「実際に喋れる人・使いこなしている人」になるだけなら、今のままで「英語が使える人がもっと増える」であろうか?
社会人の英語学習熱は確かに上がっているように思う。苦手な人でもがんばっている人も散見される。
しかし、そういう苦手だった人が英会話スクールなどで「英語がぺらぺらになった例」はどれくらいあるだろうか?
あえて言おう。「1人もいないであろう」と!
最初から得意だったやつがさらに伸びたに過ぎぬ!
だったら、増えていないではないか。
では、「どうすれば本当に増えるのか?」
私はこう考えている
英語が苦手な人を⇒「得意」にさせればよい。
できれば、高校時代が望ましい。このとき「得意」になっていれば「英語で引け目を感じず」、その後英語に不快感を持つこともなかろう。
しかし、現実は「学生時代(主に中学高校時代)、英語の成績がいい人だけ」しか⇒「今」英語を実際に喋れる人・使いこなしている人になっていないはずである。
ところで、私がやっている作業は何だろう?
それは
「英語が苦手な人を得意にさせる方法の研究・およびその指導」である。
だとすれば
私は日本の英語の普及にものすごく貢献しているのではないだろうか?
実際、私は何人も英語が苦手な人を得意にしてしまっている。中には「英語が好きになりました」なんて人までいる。
ところで、私の本心は何だろう? 私は英語が大嫌いなのである。
英語なんて、その音声が聞こえるだけで、不可指数が200%になる。
私は「日本に英語が普及して欲しくない」のである。
しかし私が仕事が上手く行けば行くほど、
つまり
⇒英語が嫌いで苦手な人が、得意になって、羽ばたけば羽ばたくほど、
⇒⇒「日本に英語が普及するのである」
私は「日本に英語が普及して欲しくない」のに……
私は英語そのものが地球上から消えて欲しいのに…
誰かこの矛盾の解消方法を教えてくれないだろうか…
明日はいつもの文法放送。
次の月曜日から新シリーズが始まります。お楽しみに。(※実際は木曜日からでした)