●文法の授業
私の見解
・綿密な戦略と戦術をもって導入すべきである
2回に分けて語る。今日は前編
高等学校の必修科目から、「英文法」というものがなくなって、30年ぐらいになる。私がネットで色々活動をし始めて12年ぐらいだが、その間ずっと私は文法の重要性を主張してきた。そのかいがあってか、徐々に文法が見直されているようだ。
4つのことを書きたい。
1:なぜ英文法が授業で消えたか? 英語好きの多くが文法嫌いだから。
2:すべての人に文法学習は必要ではない。しかし不要な人は10人に1人ぐらいしかいない。英語教師は概ねこの少数派。
3:逆に言えば、10人中9人は多かれ少なかれ、文法が必要である。
4:文法をきちんと教えられる人は極端に少ない。
1:なぜ英文法が授業で消えたか? 英語好きの多くが文法嫌いだから
あなたの学校の英語の先生はもちろん、英語が好きな人がいたら、ぜひ聞いてみるといい。「あなたは英文法が好きですか?」と。10人いたら、9人は「嫌い」と答えるはずである。少なくとも「どちらかと言えば嫌い」と答えるはずだ。彼らは「理屈っぽいのが嫌い」なのだ。こんな人たちしか、文部科学省の英語担当にならない。したがって、彼らは「英文法」を授業から消したかったのだ。
さらにもう1つ理由がある。
2:すべての人に文法学習は必要ではない。しかし不要な人は10人に1人ぐらいしかいない。英語教師は概ねこの少数派。
彼らは「嫌い」なだけで高等学校の必修科目から文法を消したわけだが、もう1つ理由らしいものがある。彼らの多くは本当に「文法が不要だった」のだ。ここの説明には例え話が必要だ。
例え話:
・ここに、100人の人を集めて、100m競争をするとする。絶対に1位から100位の順位ができる。絶対に100人が100人全員が同タイムで同着しない。
・1位から10位の人にこう聞いてみよう。「あなたはなぜそんなに速く走れるのか? 速く走る方法を教えてくれないか?」と。
・彼らはこう答えるはずである。「そんなもの知らない。走ってみたら速かった」と。
●「速く走る」ために、彼ら(1位〜10位)には「速く走る方法」は「知らない」し「不要」だ。
英語にもこれと同じような要素がある。
・ここに、100人の人を集めて、1000問の英語問題にチャレンジしてもらうをとする。何人かは同点かもしれないが、概ね1位から100位のバラバラの順位ができる。絶対に100人が100人全員が同点にはならない。
・1位から10位の人にこう聞いてみよう。「あなたはなぜそんなに高得点が取れたのか? 英語問題の正解を導く方法を教えてくれないか?」と。
・彼らはこう答えるはずである。「そんなもの知らない。解いてみたらうまく正解を導けた」と。
●「うまく解く」ために、彼ら(1位〜10位)には「正解を導く方法」は「知らない」し「不要」だ。
「正解を導く方法」こそ、私に言わせれば「文法」なのだ。
しかし、英語が好きで得意な人は、そんなもの(文法)なんか、知らなくても「高得点」を取れるのだ。つまり、彼らにとって「英文法は(本当に)不要」なのである。おまけに「嫌い」なのだ。
で、不要な人しか、文部科学省の英語担当のお偉いさんにならないし、英語教師にも普通はならない。だから、高等学校から英文法が無くなったとき、多くの英語教師が喝采したはずである。また英語好きの生徒も大歓迎だったはずである。
しかし、その結果どうなったか。少なくとも、文部科学省のお偉いさんや文法嫌いの英語教師たちが【妄想】していたほど、
・英語は普及していない
・英語好きも増えていない
なにより、
⇒「文法の授業を消した」⇒だが⇒「だから英語嫌いが英語好きになった〜〜〜〜」という例はこの30年間で【1例もない】
のである。
この続きは来週の月曜日。この「マウスバードの英語教育の見解」のシリーズは次回で終了予定。
金曜日はいつもの文法放送。