前回で、
・得意な人は「自分のペースで学習する」としても上手く行くにもかかわらず、
・苦手な人は「自分のペースで学習する」と上手く行かない、という話をしました。
今回はこの話をもう少し突っ込みます。
前回のログを見てくださった方の中で「本当に英語ができなくて困っている」という方がいらっしゃるはずです。
その方に聞きたいことがあります。
前回の話をどう思いましたか? 「そうか〜、自分のペースでやろうとしないほうがいいんだ」と思いましたか?
絶対とは言いませんが、おそらく
「そう言ってもなあ…できれば自分でやりたいよ」
「いや〜そんなことねーよ。自分で何とか出来るよ」
という感想なのではないでしょうか?
正直言いましょう。「そう思っているから何とかならない」と私は思っています。
気持ちは分かるんです。自分で何とかしたい、という気持ちは…
なにせ「私がそうだった」ですからなあ〜w
私の場合
「自分のできなさ加減が半端ではない(come の過去形が分からなかった高校生であった)」
「英語ができる人(新しい先生)から見たら、あきれられること間違いない」
「こんなひどい有様を、他人(新しい先生)なんかに見せられない、見せたくない」
「つか、自分でなんとかしたいし、出来ると思うんだよ!」
という感じでした。
それにですね、学校の先生や得意な人が↓こう言うんですよ。
「英語なんて、ちょっとやれば出来る」
つまり、「ちょっとやればできるはずなんだ。たまたまちょっとができていないだけなんだ」
と思っていたのです。私の場合。
で、私は「高3になって、どうしょもなくなりました」
後で分かったことが3つあります。
●英語が出来るようになるには
(1)最初から英語才能がある人は「ちょっとやること」で出来るようになる。なぜならば「才能があった」から。また英語が好きだから、すごい勉強量も『ちょっと』ぐらいにしか感じなかった。
(2)最初から英語才能がない人は「ちょっとやること」では全く出来るようにならない。なぜなら「才能がない」から。また英語が嫌いだから『ちょっとの量』でも膨大に感じる。
(3)苦手な人は「そのちょっと」がなかなかできない!(違いますか? そこの苦手な人!)
実のところ、(1)を認識できなかったのが最悪なことだった、と私は思います。
得意な人は、本当に簡単に言うんですよ、「英語なんてちょっとやればできる」などと。。。
ですが、それが本当なら、今の日本は「英会話があちこちで日常的に喋っている」はずです。そういう社会ですか?
違いますよね。英語を喋れない人が圧倒的なはずです。
つまり、「英語なんてちょっとやればできるという人」は「ほんの一握りの才能がある人」だけなんです。それに気付かなかった私が馬鹿だったわけです。
みなさんには、これに気付いて欲しいのです。
気付いたら、こう考えてください。
・英語が苦手で困っている人は、ちょっとやったところでけっして得意になれない
・それどころか、その「ちょっとの勉強」すら、まずやらない。
・たっぷりやらないと得意になれないのに、ちょっとやることすら「自分だけでは不可能」!
↓だから
●他人の力が必要ではないのか?
と考えて欲しいのです。
いかがでしょうか?
明日はいつもなら文法放送ですが、今週はGWのためお休みです。来週は行います。
この話の続きは来週の月曜日です。