苦手なりの受験英語(アルク版)

先生の必要性と自分のペース(3)


前回で、
得意な人は「自分のペースで学習する」としても上手く行くにもかかわらず、
苦手な人は「自分のペースで学習する」と上手く行かない、という話をしました。
今回はこの話をもう少し突っ込みます。

前回のログを見てくださった方の中で「本当に英語ができなくて困っている」という方がいらっしゃるはずです。
その方に聞きたいことがあります。
前回の話をどう思いましたか? 「そうか〜、自分のペースでやろうとしないほうがいいんだ」と思いましたか?

絶対とは言いませんが、おそらく
「そう言ってもなあ…できれば自分でやりたいよ」
「いや〜そんなことねーよ。自分で何とか出来るよ」

という感想なのではないでしょうか?

正直言いましょう。「そう思っているから何とかならない」と私は思っています。

気持ちは分かるんです。自分で何とかしたい、という気持ちは…
なにせ「私がそうだった」ですからなあ〜w

私の場合
「自分のできなさ加減が半端ではない(come の過去形が分からなかった高校生であった)」
「英語ができる人(新しい先生)から見たら、あきれられること間違いない」
「こんなひどい有様を、他人(新しい先生)なんかに見せられない、見せたくない」
「つか、自分でなんとかしたいし、出来ると思うんだよ!」

という感じでした。

それにですね、学校の先生や得意な人が↓こう言うんですよ。
 「英語なんて、ちょっとやれば出来る」

つまり、「ちょっとやればできるはずなんだ。たまたまちょっとができていないだけなんだ」
と思っていた
のです。私の場合。

で、私は「高3になって、どうしょもなくなりました」

後で分かったことが3つあります。

●英語が出来るようになるには
(1)最初から英語才能がある人は「ちょっとやること」で出来るようになる。なぜならば「才能があった」から。また英語が好きだから、すごい勉強量も『ちょっと』ぐらいにしか感じなかった
(2)最初から英語才能がない人は「ちょっとやること」では全く出来るようにならない。なぜなら「才能がない」から。また英語が嫌いだから『ちょっとの量』でも膨大に感じる

(3)苦手な人「そのちょっと」がなかなかできない!違いますか? そこの苦手な人!

実のところ、(1)を認識できなかったのが最悪なことだった、と私は思います。
得意な人は、本当に簡単に言うんですよ、「英語なんてちょっとやればできる」などと。。。

ですが、それが本当なら、今の日本は「英会話があちこちで日常的に喋っている」はずです。そういう社会ですか?
違いますよね。英語を喋れない人が圧倒的なはずです。
つまり、「英語なんてちょっとやればできるという人」は「ほんの一握りの才能がある人」だけなんです。それに気付かなかった私が馬鹿だったわけです。

みなさんには、これに気付いて欲しいのです。
気付いたら、こう考えてください

英語が苦手で困っている人は、ちょっとやったところでけっして得意になれない
・それどころか、その「ちょっとの勉強」すら、まずやらない
たっぷりやらないと得意になれないのに、ちょっとやることすら「自分だけでは不可能」
 ↓だから
他人の力が必要ではないのか?

と考えて欲しいのです。

いかがでしょうか?
明日はいつもなら文法放送ですが、今週はGWのためお休みです。来週は行います。
この話の続きは来週の月曜日です。

(↓目次はこちら)
目次ページへ

-苦手なりの受験英語(アルク版)
-