・英語嫌いは英語を喋りたくない
『テーマ』
英会話は英語嫌いを苦しませる。特に英語ネイティブとの英会話が最悪!
【苦手な人へ】
英語が嫌いな人の中には、英語教師から、ある「嫌な体験」を勧められることがある。場合によってはそれを強制されることもある。
それは「ネイティブとの英会話」である。
こんな「嫌なこと」はあなたにとって存在しないだろう。
でも彼ら(英語教師の多く)はこれを「嫌なこと」とは露ほども思っていない。彼らは「ネイティブとの英会話体験ができれば、誰でも絶対に喜ぶはず」と信じている。
これを彼らは絶対に「間違っている」と思うことができない。これは普通「盲信」と呼ばれる。
あなたは彼らを↓こう思って良いと思う。
⇒「盲信を信じ続ける危険なカルト宗教の信者」
彼らは、こんなあからさまな間違いを「間違い」と思えない人間だ。
無理なんだから仕方がない。あなたの脳内で彼らを「1グラムの脳味噌も持っていない人間」と思っていればいいと思う。
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【指導者へ】
英語好きの指導者の中には、英会話好きな人がいる。そういう彼らはネイティブとの英会話を好む。できる限りネイティブと英会話をしたいと考えている。
別にそれ自体はごく普通である。あなたは英語が好きで英会話をしたいのだから、だったらネイティブと話したいのは当然である。
問題は、「そうでない人も大勢いる・英語嫌いな人はネイティブとの英会話が極端に不快である」と想像できない場合である。
得体のしれないカルト宗教の信者が「教祖と話せば誰でも絶対に喜ぶはず」と思っているのと同じように
ネイティブ英会話絶対教の信者は「ネイティブとの英会話体験ができれば、誰でも絶対に喜ぶはず。英語嫌いな人はネイティブと会話をすればするほど英語好きになる」と思っている。
これが問題だと思う。
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【マウスバードの一言】
英語好きな人の中には、「カルト宗教の教義に近い信仰を持っている。他の意見を耳に入れないし理解しようとも思わない人」がいる。...とこの回で書いた。
あなたが「このカルト宗教の信者かどうか」テストしてみる。
(例え話・その1)
ドラえもんはネズミが嫌いだ。
じゃあドラえもんはネズミと会話したいと思うだろうか? 思わないはずだ。
ドラえもんを無理にネズミと会話させたら、ドラえもんはネズミが好きになるか?
⇒ならないはずだ。すぐさまギャーギャー叫んで逃げるはずだ。
あなたは「ドラえもんをネズミ好きにさせるために」⇒「ネズミと会話させよう」としたら、ドラえもんはどう思うか?
ドラえもんはあなたを嫌い、ネズミへの恐怖感と憎悪を増すはずである。
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(例え話・その2)
ここに数学嫌いがいる。
じゃあこの数学嫌いは数学者と話したいと思うだろうか? 思わないはずだ。
あなたがこの数学嫌いを無理に数学者と話させたら、この数学嫌いは数学が好きになるか?
⇒ならないはずだ。すぐさまギャーギャー叫んで逃げるはずだ。
あなたは「数学嫌いを数学好きにさせるために」⇒「数学者と会話させよう」としたら、この数学嫌いはどう思うか?
数学嫌いはあなたを嫌い、数学への恐怖感と憎悪を増すはずである。
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(例え話・その3)
ここに「英語嫌い」がいる。
じゃあこの英語嫌いはネイティブと英会話したいと思うだろうか? 思わないはずだ。
あなたがこの英語嫌いを無理にネイティブと英会話させたら、この英語嫌いは英語が好きになるか?
⇒ならないはずだ。すぐさまギャーギャー叫んで逃げるはずだ。
あなたは「英語嫌いを英語好きにさせるために」⇒「ネイティブと英会話させよう」としたら、英語嫌いはどう思うか?
英語嫌いはあなたを嫌い、英語への恐怖感と憎悪を増すはずである。
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あなたは(例え話・その1)(例え話・その2)は納得できるのではないかと思う。
では(例え話・その3)は納得できるか?
できなければ、あなたの脳は「カルト宗教の信者の脳」と同じと思う。「自分が喜ぶこと」は「他人も喜ぶ」と信じて疑わない。そして「自分が喜ぶこと」を他人にも「よかれ」と思って【布教】する。まさに宗教である。
私はこの「カルト信仰脳」を持つ英語好きや英語教師ばかりに出会っているようような気がする。
彼らは「【誰でも】ネイティブと英会話すればするほど、英語好きになるはずだ」と思い、英語嫌いに無理やり「ネイティブと英会話させよう」とする。
こうゆう英語教師にはぜひ、「数学者と数学の話」をしてもらいたい。できればヒアマラと同じぐらい1000時間ぐらいやって欲しい。
きっと【あなたでも】数学者と話せば話せば話すほど、数学好きになるであろう(嫌味)。
今週の金曜日は文法放送。この続きは月曜日です。
※実際は翌々週の月曜日になりました。