苦手なりの受験英語(アルク版)

参考書を『やる・やった』って何?(2)

では具体的な説明に入りましょう。
ここでは仮に
「○○○○○」という解釈の参考書をやる(やった)
と表現できることについて考えましょう。

Aさんはこのように「やり」ました。
・英語長文を全部コピー
・それをノートに丁寧に貼る
和訳例を丁寧に自分で自力で作る(辞書と格闘しながら)
・コピーにガンガン書き込む
・設問がついているのならばそれを解く
・1文の全訳作成が終わったら、やっと参考書の解説を読む
・読みながら自分の訳例を赤ペンで修正する
・参考書に書いてある「大事だ」と思ったものはノートに書き写す
・1文の学習が終わったらその英文を何度も音読する
・このようにして、その参考書にある問題を全部訳出&学習する

Bさんはこのように「やり」ました。
・参考書の英語長文を読む
・分からない単語があっても辞書など引かない
適当な感じをつかんだら、すぐさま解説を読む
・納得したら、終わり。ノートなんか使わない。和訳例など書くことなどしない
・こうやって次々全部読む

AさんBさんも共に<「○○○○○」という解釈の参考書をやる(やった)>と表現しています。

でもどうですか? 同じ「やった」という表現でも随分意味合いが違うと思いませんか?
「習熟率」というものがかなり違ってくると思います。
「やる(やった)」という表現でもこのように「使い方」に差がある、というのをまずは認識していただければと思います。

参考書の話題のとき、
Aさんが「○○○○○」を【やって】成績は上がった! だから「○○○○○」は良い参考書だ!
と言うことは十分ありえます。
でも
Bさんの場合「○○○○○」を【やった】が成績は上がらなかった! だから「○○○○○」は良くない参考書だ!
と言うことも十分ありえます。

同じ【やった】でもこうした違いが出るのです。どんなに良い参考書でも、Bさんのように使った場合、その効能はAさんとは違ってくると思いませんか?
このように「やった」といってもその評価は変わってしまうのです。

さて以上「使い方の差」について書きましたが、これに関しては別の観点で「一筋縄ではいかない問題」をはらんでいますこの所為で「英語が苦手な人は成績がいつまでも伸びない」理由になっている大事な要素です。それについては木曜日にお話いたします。
お楽しみに。

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