今回は「反応の差と説明の差と納得の差」の最終回(かつ、総括の後半)です。
最後に残ってしまった話題を取り上げます。
あることに対し、
<それに疑問を感じて困る人>は「それを納得するための説明には差がある」と思うことができるのに
<そのそもそれに疑問を感じないので困らない人>は「それを納得するための説明には差がある」と思うことができない
これはなぜか? という話です。
・説明以前の問題である
・多数派少数派の問題
・そもそも大変不快だから考えたくない
・説明以前の問題である
そもそも疑問を感じないのです。疑問を感じないものを説明できますか?
ここを見て欲しいのです。文章題を簡単に解ける人が、「できない人に、どうすればできるか、を説明」できますか?
・多数派少数派の問題
<困ると感じる人>は少数派で<困らない人>が多数派なんです。
くしくも、ここで「英語駄目人間さん」が
>自分以外にもこの文を疑問に思う人がいたみたいなので少しだけ気が楽になりました。
と書いています。
つまり、<困る人>は最初から自分は少数派だと分かっているのです。
それに対して<困らない人>は「そんなことで困っている人がいること」が信じられないのではないでしょうか?
少なくとも多数派です。
ですがそういう自覚すら普通はないと思います。<みんな同じだ>と思うのです。だから「自分の説明で(例外なく)誰しもが納得するはずだ」と思うのではないでしょうか?(実際は違うのに多数派なのは明らかなので無視できるのです)
・そもそも大変不快だから考えたくない
<そのそも「I go to school. に疑問を感じないので困らない人>はなぜこれで納得しないか?
これには「実に単純なこと」が絡んでいます。
彼らは「文法が嫌いだから、文法で考えることを嫌がる」のですヨw
そもそも彼らは「文法のこと」をまともに普通は考えてくれないんです。納得もへったくれもなく「最初からこんな文法のことを考えるつもりがない」んです。
私のような「英語嫌い人間」が「アルファベットが嫌いだから、アルファベットを見るのを嫌がる」のと同じです。
「嫌がるな!」って言っても無理なんですよ!
文法嫌いの彼らに「嫌がらずにこれを見て納得しろ!」と言うのは
ドラえもんに「嫌がらずにネズミを見て納得しろ!」と言ったり、私に「英語を見て納得しろ!」と言ったりするのと同じなのではないでしょうか?
「納得する気構え」が彼らには最初からないと思います。
そんな「嫌で不快なこと=文法を考えること」をしなくても、最初から疑問は解決しているのですから。
しかもこれは彼らにとってこれ(文法的な説明を熟読して納得するように考えること)は「嫌で、かつ、やらなくていい作業」。普通やるはずがない!w
ちなみに……
我々英語嫌い人間は「嫌で不快なこと=英語を学ぶこと」を【嫌なのにやっている】のです。でないと受験が突破できないから。
ここに「大きな不公平感」を、英語嫌いな私としては、いつも感じずにはいられないのです。
以上が今回のお話でした。いかがでしたでしょうか?
う〜んまだまだ書ききれなかったことがありますね〜。機会があったらまた別の観点から書いてみたいです。
次回は木曜日に雑談を入れます。
来週の月曜日から新シリーズ行きましょう。どれがいい?
・英会話と英語嫌い人間
・得意な人の意見の功罪
・速読についての考察
・音読についての考察
どれがいいですか? リクエストがあったらそれにお答えします。では〜。