前回の最後の問題提起を取り上げます。
「文法不要派・完全不要タイプ」の人は、本当に文法が不要であった。
「文法必要派・完全必要タイプ」の人は、本当に文法が必要であった。
という「事実」です。両方とも事実!
「文法不要派・完全不要タイプ」の友人Aには「中学・高校時代は文法なんか少しも身につけずに6年間過ごして英語の成績が優秀だった過去がある」
しかし、
元々「文法必要派・完全必要タイプ」の私には「中学・高校時代は文法なんか少しも身につけずに6年間過ごしてオチこぼれた過去がある」
この差はどこで生まれるのか?なぜそうなのか?
という問題でした。
ここで、はるか昔のログを持ってきます。
「足が速い人はなぜ足が速いのか?」という話題です。
こちら↓をお読み下さい(クリックして下さい)
「得意不得意の根本(全3回)」
いかがでしょうか?
つまり、文法が必要か否か……これは「才能の差」ではないかと考えたわけです。
ここまでよろしいでしょうか?
ではでは!ここで考察したいことがあります。
どこで、才能の差だとしても、それがどのように英語学習に反映していくのか?
これについて考えたいのです。よろしいでしょうか?
ここである具体例を持ってきます。私の趣味のSFのファン仲間(女性)の体験談です。彼女はもう2人も大きいお子さんをお持ちの女性です。彼女は中学1年生のとき以下のような体験をしたそうです。
みなさん、以下の話をどう思いますか?
>私は中学1年の時、a an がどうして必要なのか教師に聞いて
>「とにかく暗記しろ」と言われてから英語が大嫌いになりました。
以上です。
さてあなたはこの話をどう思いましたか?
A. ? そんなんまるで疑問に思わなかったよ。そんなもんでしょ? 英語って。
B. 確かに知ってたほうが良い知識だね。
C. なんだ、このアホ教師は! この知識を知らなきゃ困るじゃないか! 私も同じように返事を返されたら頭にくる!
あなたは、A、B、C、のどの感想に近いですか?
これを念頭においていただけますでしょうか? そのまま次回の月曜日の更新をお楽しみにしてください。(う〜ん、やっぱりこの話題は、全5回は無理っぽいなあ…。全8回ぐらいではないかと思います。わかんないですがw)なお明日はいつもの文法授業です。よろしく〜★ では〜