苦手なりの受験英語(アルク版)

色んな意味で仮定法の謎(2)


今日は「英語好きな人」と「仮定法」との『関係』について軽く触れます。

英語が好きで得意な人の大半は文法が嫌いだ、というのが私の説です。
で、英語好きな人の大半は文法の中でも「仮定法」は1番嫌いなのではないでしょうか?

 たぶん英語が好きで得意な人の大半は「仮定法」という名前を聞いただけで逃げ出すような気がします。

まずは「なぜ英語が好きな人の多くは仮定法が嫌いなのか」というのを考えたいのです。

その理由の1つは単純に「得意な人は仮定法の問題を間違えまくるから」というものです。
↓私のこのブログのかなり初期に作ったログです。
参考:【分析】英語が得意な人が難しく感じる問題

このように、彼らは「英語が得意であるにもかかわらず」「仮定法の問題は間違ってしまう」のです。
なぜ間違ってしまうのか、についてはもう少し後の連載で書きたいと思います。

もっと「背景」を考えたいと思っています。
大胆な仮説を考えました。

英語が得意な人は「もし〜ならば」という仮定を考えること自体が苦手なのではないか?

中でも、(それこそ仮定法を使わなければならない場合なのですが)、現実にはありえない仮定を想像することが苦手なのではないか?
と思っているのです。

例えば
・(1)もし、彼が生きていたら
・(2)もし、空気がなかったら
・(3)もし、英語が嫌いであったなら

といった発想です。↑こうした仮定を考えること(特に英語好きな人が(3)について考えること)が、もしかしたら英語好きな人はものすごく「嫌」なのではないかと思ったのです。

というのは↓このログの反応が割りに良かったからです。
【分析】(得意な人は気づかない)英語がますます嫌いになるポイント

英語好きな人は、それを嫌いなものに当てはめて考えてくれないのです。

ちなみに英語嫌いな人はよくこういう「仮定」を考えるんですよ。
 ・(3)もしも、英語が急に得意になれるなら
 ・(4)もしも、英語が得意であったなら
 ・(5)もしも、英語がなかったら

私が中学・高校生だった頃、私はどれだけ(3)(4)(5)を想像したことか…英語が苦手な人は現実にはありえない仮定を想像することが得意なのではないか?と思っています。

このような個人レベルの問題はともかく、
英語が得意な人は「現実にはありえない仮定」を考えることが「苦手・嫌い・普通しない」のではないかと、私は考えています。
どうでしょうか?

続きは月曜日です。なお明日はいつもの文法放送です。

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