前回の話の概略は
「比較・関係詞・不定詞」は英語が苦手な人には「難しくて困る」が得意な人にとっては「楽勝」!…という話でした。
<前回の話も確認してくださいね>
これがとんでもない恐ろしい事態を巻き起こしているのですがわかりますか?
<実例>--------------------------------
ここに英語が苦手で困ってる高校生Aがいる。本当に英語を得意になりたいと思っている。
ここに英語が最初から好きで得意な高校生Bがいる。
「関係詞のテスト」が近々あるとする。
Aは試験前に必死に教科書をにらめっこし、必死に関係詞の勉強をする。
しかしどうにも意味がよくわからない。でも必死にやる。
Bは関係詞の勉強を全くしない。教科書すら読まない。
試験は終わる。
結果…
Aは正答率は10%以下。
Bは正答率は90%台。
これが現実。だいたい……
(足が速いやつは特に練習なんかしなくたって最初から足が速い……足が遅いやつが必死こいたって大して速くならない。まして今回は英語が苦手な人にとっては難しく感じる単元。こうなるのが現実……)
さて、この評価を下す担当の英語の先生は彼らをどう思うか?
英語の先生は…たいてい最初から「英語が好きで得意」な人はず!
つまり先生自身が「関係詞は楽勝!」と思っている。
とすると…
先にBの評価を先生が考えるとする。Bは関係詞のテスト90点以上。
・「当然」という評価であろう。(自分も勉強しなくても高結果のはずだから)
一方Aは関係詞のテストで10点以下…
Aに対する評価は
・「なんでろくに勉強しなくても解けるはずの関係詞がお前はできないのだ?」
・「勉強をしなさ過ぎる!」
というものになる。
勉強してないBよりも、Aはよっぽど関係詞の勉強したにもかかわらず、Aの評価は「勉強していない」になる。いや違うな。「勉強しなさ過ぎる」という評価になる。
したくもない英語の勉強を必死にやったAは、学校の英語の先生から「勉強しなさ過ぎる」という評価をもらうのである。
こうして、Aはこの英語の先生が嫌いになり、英語が嫌いになる。英語が得意になりたかったにもかかわらず、不得意のままである。どんどん英語が嫌いになっていき、英語のことなど考えたくもなくなる……
---------------------------------------------
これは極端な例ですが、概ねこうした感じでどんどん英語嫌いが毎年排出されているのが今の学校英語教育だと思います。
どのようにお感じになりましたでしょうか?
次回はまとめです。金曜日はネット授業があるから、この話の続きは日曜日です。
続きはこちら。