まず、参考までに大修館書店発行の「英語教育」という雑誌の話をさせてください。去年(2010年)の3月号の特集は「英語を嫌う生徒にどう向き合うか」というものでした。13名の英語教育関係者と思われる人物がそれぞれの意見を寄稿していました。読んでいて、2つのことが気になりました。
(1)13人の執筆者は、ただ一人のあきらかな例外を除いて、概ねみなさん「英語嫌いな生徒を如何に好きにするか。嫌いにさせないためにどうするか」という論調。最初から「好きにさせることが前提」のような話であった。
(2)にもかかわらず「実際に『嫌いな人を好きにさせた成功例』が1つも提示されていない」
この2つでした。
これらの執筆者の皆様には、大変申し訳ないですけれども、私はそれに対し↓こう思いました。
・「英語好きにさせるのに成功した例…ではない方法」を提案をされているのはなぜ?
・それって「失敗する方法・失敗した方法」を提案されていることになるのでは?
皆様はどうお思いになりますか?
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ただし、唯一人の例外の人物だけは違いました。論調の違いは出だしの数行だけでわかります。少し引用します。
> 私は未だに英語が大嫌いだ。ゴキブリよりも英語が嫌いだ。しかし私の職業は、大学受験生に英語を教える講師である。普通の英語教師に引けをとらない英語力はあるつもりだ。だから何も英語を好きになる必要はないではないか。
どうでしょうか? あきらかに「英語嫌いな生徒を如何に好きにするか。嫌いにさせないためにどうするか」という論調…ではないと思いませんか?
…というかお分かりですね。この例外の寄稿文を書いた人の正体が。長くこのブログを読んでくださっている皆さんならばお分かりだと思います。
他ならぬ私です。
しかしこの寄稿文が載った時、私が「しまった。失敗した」と思ったことがいくつかあります。その1つは
私が(結果的に)「英語嫌いを実際に英語好きにさせた成功例」を提示でできればよかった!
というものです。「そうであれば私の寄稿文ももう少し説得力があったなあ」と思ったのです。だから
「それをいつかブログで書こう」
と思ったのです。それが今回のシリーズなわけです。
金曜日には文法放送を行います。この続きは来週の月曜日です。