前の(5)で一応、このシリーズのラストのつもりでした。しかし、1点、付け加わらせてください。どうにも、間違って読まれた方がいるようなので...
前回の(5)で、私は以下のように書きました。
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よーく事態をご覧になって欲しいです。逆効果のはずです。
順序が逆なのです。原因と結果の位置が逆です。
・英語の歌や英会話が楽しめる人が⇒英語好きになる
・英語の歌や英会話で苦しむ人が⇒英語嫌いになる
のです。
だから、
英語好きが「英語の歌や英会話」をやると⇒「やればやるほどますます好きになる」という結果になります。楽しめますから。
しかし
英語嫌いが「英語の歌や英会話」をやったって⇒「やればやるほどますます嫌いになる」という結果にしかならないのです。苦しみますから。
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以上のように書きました。
きっと私の書き方がきっとまずかったのでしょう。某所である方が、私のここのページをリンクし、次のような趣旨の発言をされていました。(内容は概ね好意的とてもありがたかったのですが、以下の部分に納得いかなかったのです)
英語嫌いが英会話で苦しむのは、日本人ではなくネイティブとの会話を早くさせていない所為だ。
私には、どうして↑こんな意見になるのかが分かららなかったのです。私は困りました。私の言いたいことの「真逆」であったからです。これ以上ないほど真逆です。読者の皆さんは納得できるのでしょうか?
随分この謎を考えました。おそらくですが↓ここを取り違えたのだと思います。
・英語の歌や英会話で苦しむ人が⇒英語嫌いになる
↑これを
・へたくそな日本人同士の英会話で苦しむ人が⇒英語嫌いになる
⇒⇒ネイティブとの英会話だったら⇒英語嫌いになる人も喜んだはずだ。
と読み取ったのだと思います。(きっとこの人にとってはそうだったのでしょう)
しかし、断じて違います。だって、私は中1の最初から山ほどネイティブとの対話練習をやらされましたから。
どちらかと言えば
・ネイティブとの英会話が楽しめる人が⇒英語好きになる
・ネイティブとの英会話で苦しむ人が⇒英語嫌いになる
⇒⇒ネイティブとの英会話だったら、英語嫌いは、日本人同士よりもっと英語を嫌いになる。
⇒⇒⇒ネイティブとの英会話が、英語嫌いにとって
最強・最凶の猛毒。最悪の選択肢。
こうなる。
「英語嫌いはより英語らしい部分が嫌い」なのです。
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比べてください
・ネイティブの生英語音声
・コテコテの日本人がしゃべった英語音声
↑どっちが「より英語らしい」ですか?
⇒「ネイティブの生英語音声」でしょう。
「ネイティブの生英語音声」を
「快感」と思った人が⇒英語好きになり、
「不快」と感じた人が⇒英語嫌いになるのです。
日本人英語の方が、英語嫌いにとっては数億倍ましです。
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おそらくここで次のような反論が予想されます。
「そうではなく、ネイティブとの会話体験が重要だ。意志が通じた体験が重要だ」
その通りの部分と、そうでない部分があると思います。
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・その通りの部分
「意志」が通じれば重要ですよ。
まさかとは思いますが、相手がネイティブならば
"How are you?" "Fine thank you. And you?"
↑これが「意志が通じた体験」ってことになっているのでしょうか? 私にとっては違います。「しゃべろと言われた言葉を言っただけ & 言われただけ」の体験です。ちなみにネイティブに言われた英語(つまりネイティブの音声)は、いかにも「英語らしい発音」でした。そりゃネイティブですからね。
英語好きになる人は、このとき「こんな発音をしたい!」と思うものではないでしょうか? しかし私は違いました。この程度のネイティブとの対話?なら中学生の最初から学校で山ほど経験されられました。が「不快の塊・権化」でした。→「こんなふうに言うのかよ? 無理だ! ハードル高すぎ! 俺は死んでもこんな発音はできない」と思い、ただただ不快でした。
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・そうでない部分
私がちゃんと英米人と話が出来た最初の出来事、つまり「最初に意志が英語で通じた瞬間」......これが私には全く記憶に残っていません。(ちゃんと意志が通じた瞬間ですよ。決まりきったスクリプトを言い合っただけとは違います。ちゃんとした「ネイティブとの英会話」です)
何の感慨もなかった。
「最初に水を熱してお湯になった経験」をあなたは覚えていますか? あなたは深く感動しました? 私にとってはそれと同じです。「ちゃんと相手に分かる英語を喋ったら英語を返してくれた経験」に私は全く感動しなかったのです。 「水を熱すればお湯になる」のは当たり前ですよね。それと同じように、「ちゃんと相手に分かる英語を喋ったら英語を返してくれる」のは当たり前。テレビのスイッチを入れたらテレビがついたの同じ。私にとってはそれだけでした。
だから、ネイティブとの英会話体験が「重要」とは、英語嫌いの私には全く思えないのです。
逆に、英語が好きな人にとっては重要なのではないでしょうか?
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何度も言いますが、どちらかと言えば
・ネイティブとの英会話が楽しめる人が⇒英語好きになる
・ネイティブとの英会話で苦しむ人が⇒英語嫌いになる
⇒⇒ネイティブとの英会話だったら、日本人同士よりもっと英語を嫌いになる。
⇒⇒⇒ネイティブとの英会話が、英語嫌いにとって
最強・最凶の猛毒。最悪の選択肢。
こうなる。
「英語嫌いはより英語らしい部分が嫌い」なのです。
これ以上「ドラえもん」に「よりネズミらしいネズミ」を与えないでください!
「よりネズミらしいネズミ」をもらっても、英語嫌いは苦しむだけです。与えた先生は英語嫌いな生徒に「ちっとも分かってない。ますます俺を苦しめやがって!」と恨まれるだけ。良いことなんて何もない。
どのみちドラえもんに与えるなら、「なるべくネズミらしくないネズミ」を与えてください! そうすれば「この先生は分かってくれる!」と思うはずです。そして「あなたと英語を恨まない」と思います。
英語好きな人には「ネイティブとの会話」が「最高に喜ばれる」のでしょうが、英語嫌いには「最悪に恨まれる」のです。ネイティブの音声は、ドラえもんにとって、最も不快指数が高まるネズミそのものです。
金曜日は文法放送。来週の月曜日こそ新シリーズ開始です。
今週の金曜日は文法放送。来週の月曜日は雑談。新しいシリーズは再来週の月曜日からです。
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