英語が嫌いなのに英語の先生をやってる理由
その5・苦手な人がどこでどのくらい苦しむか知ってるので、苦しい場所をゆっくり教えられるから
私がよく言う言葉の1つに
「関係詞は英語が得意な人にとっては簡単で、英語が苦手な人にとっては最悪に難しい」
というものがある。
例を挙げる。
関係詞の問題を解く場合、もしくは関係詞が絡んだ英文の意味を考える場合、不思議な事が起こる。
・英語が得意な人の場合、カンで答えがわかったり、解けたりする。自動的に答えが浮かび、その答えには絶対的な自信がある。
・英語が苦手なな人の場合、カンで答えがわからず、解けず、間違う。答えが全く浮かばないで、散々悩むか諦める。ほぼ毎回間違う。仮に正解を思いついたとしても、その答えには全く自信がない。
最近は出向先の塾で高1の英語を教えている。生徒さんは3人。1人は英語が得意。残りの2人は苦手。関係詞を念入りに教えている。
得意な1人は、カンでバシバシ解く。時間が余るので余った時間が退屈そうです。正答率は非常に良い。
苦手な2人は、悩みまくって答えをようやく出す。恐ろしく時間がかかる。その上で正答率は悪い。「関係詞やだー」とぼやきまくる。
普通の英語の先生なら、関係詞はさっさかすっ飛ばすように教えると思う。彼ら自身が「英語が得意な生徒」だったはず。だから普通の英語の先生の多くは「分かるよねー簡単だよねー」という感じで、関係詞はさっさか進ませるはず。
しかし私はそうではない。関係詞はものすごく時間をかけて教えている。それは苦手な人はここで苦しむのを私はよく知っているから。現在、私はこの塾でじっくり関係詞を教えている。しかし関係詞を教え終わったところで、彼らが関係詞をきちんと身についたかどうか…非常に怪しい。なにせ私は関係詞の克服に10カ月を要したから。
関係詞に限らない。こういう「苦手な人が苦しむ場所」というのが他にもある。英語が苦手な人はそういう部分を克服しなければならない。せめてゆっくり教えて、苦しむ部分の理解を少しでも助けられるような授業をする……こういうのが自然にできるのは、私のように英語が嫌いで苦しんだ人しかいないのではないだろうか? しかし普通の英語の先生なら、これに気が付きさえしないのである。
しかし私は体感で分かるのだ。こういう英語教師は少ないだろう。したがってこれも私が英語教師をやる理由の一つになっているのである。
金曜日は文法放送。この続きは来週の月曜日です。