苦手なりの受験英語(アルク版)

英語嫌いの英語教師の理由(9)

英語が嫌いなのに英語の先生をやってる理由
その8・少しも英語なんか喋りたくねーよ!…と言えるから

 先に言っておくと、私はもはや英会話能力は乏しく、もはや片言である。ただし昔は私は英語がペラペラであった(過去形)。普通の英語学習者で英語を話したい人は、英語がペラペラになることを目指すのであろう。そしてもし首尾よく英語がペラペラなったとしたら、その維持に努めるはずであろう。しかし私はそうしなかった。私は英語をペラペラな状態を維持することを自ら放棄したのである。よく「それはもったいない」と言われることがある。そうかもしれないが、私自身は至極当然であった。

 なぜだろうか? なぜなら私は英語がペラペラになりたくなかったからである(今もそうである)。

 私が英語がペラペラだった時期は大学1年のある時期の1週間だけだ。しかし英語がペラペラになった途端、私は「いち早くこの英語がペラペラな能力をなくそう」と考えた。おそらく無意識でそう考えた。なぜなら私は英語、特に英会話が英語のあらゆる要素(英文解釈、単語記憶、熟語記憶、英文法、リスニング、ライティングなどの中)で一番大嫌いだからである

 なぜ私は英会話が一番嫌いか…それは英会話で苦しみまくったからである。

 私の中学高校は特別だった。私の中学高校は特殊で「英会話に特化した授業」がカリキュラムで多く含まれていた。NHK基礎英語やNHK英会話のテキストがそのまま学校の授業のテキストだった。アメリカ人のアシスタントティーチャが必ずいた。きっと英会話好きの人なら羨ましい境遇なのだろう。しかし私にとっては違った。NHK基礎英語やNHK英会話のテキストで載っている Aさん:Bさんのスクリプトを読み合う作業…これがスーパー苦手であった。まず英文を記憶しなければならなかったが、これができない。それだけならまだいい。テキストに載っている単語が発音できないのである。読み方がわからないから。(そりゃあ辞書で調べれば分かるのだが、当時は酷く辞書を引きたがらない生徒であった) 同級生がAさん:Bさんの会話を楽しそうに喋っているあいだ、私は「どうせできねーよ」と苦しんでいたのだ。またアメリカ人のアシスタントティーチャーとAさんBさんの会話をやらされる作業が1番嫌だった。英文を覚えてないわしが嫌々英語を話していることはアメリカ人のアシスタントティーチャーにもよく分かったろう。彼も不快な気にしたくなかったが、できなかった。またこのアメリカ人の先生は(なんでこいつは英語を覚えようとしないんだ?)みたいな目で私を見ていた。それも苦しかった。

 一緒に英語を教える日本人の英語の先生も英語がペラペラだった。発音もネイティブ並に素晴らしい。非の打ち所がないくらい英語を流暢に話していた。しかし、いや違うな、「だから」…この日本人の英語の先生もまた私を(なんでこいつは英語を覚えようとしないんだ?)みたいな目で私を見ていた。それも苦しかった。

 つまり、中学高校で散々英会話の訓練をさせられて、常に全くできなかった。苦しみまくった。あまりにできなさすぎて先生に殴られたことさえある。そのため(トラウマで)英会話が1番嫌いになったのである。

 普通はこんな人は「英会話」を以後学習するわけがないと思う。嫌いなんだから。嫌なことは避けるはずだ。しかし私はその後、あるきかっけで英会話の学習をみっちりやるはめになってしまった。その結果、これだけ嫌いでも、英会話が一時期はできるようになったのである。その経験がある。
 そのきかっけとは……受験を突破したあと恐ろしい偶然(高校時代の友人がサークルの勧誘をしていたため)の結果なのだ。このため私は英会話を学習するはめになったのだ。その頃は大学受験を突破したため、私には英語の基礎ががかなりあった。だからはその頃は英会話の学習が可能になっていたのだ。
 受験英語学習を消化(単語・熟語・文法がバッチリ)→その上での英会話学習をした。これこそが「文字どおり嫌いでも英会話ができるようなる変遷」であった。これを私は身を持って知っているのである。

 世の中には英会話が大嫌いでも英会話をやらされる人がいるのだ。彼らには気持ちをわかって英語を教えられるのである。

 それにしてもだ。世の中には英会話が大嫌いでも英会話をやらされる人がいるのを英語好きの人は知らなすぎる。中学高校にいる【本当の英語嫌い】は英会話が嫌なのである。
 →彼らは英会話の先生に「お前もペラペラになりたいだろう?」などと言われたりする。
 事実、私は↑このように言われまくった!

私の正直な感想↓
 ふざけんじゃねー! 少しも英語なんか喋りたくねーよ!

と私はムカついたものだ。しかし当時はそうは言えなかった。「ふざけんじゃねー! 少しも英語なんか喋りたくねーよ!」英語ができない頃の私が言っても「それはできない言い訳だ」などと言われるのが落ちである。それがどれだけ悔しかったか…きっと英語が好きな人には分からないだろう。

 しかし今は言える。「ふざけんじゃねー! 少しも英語なんか喋りたくねーよ!」と今の私ならいつでも言える。喋れるようになったことがあるから言い訳にならないからだ。これがどれだけ気分が良いか。きっと英語が好きな人には分からないだろう。

 常日頃
 「ふざけんじゃねー! 俺は少しも英語なんか喋りたくねーよ!」
 「ふざけんじゃねー! 俺は少しも英語なんか喋りたくねーよ!」
 「ふざけんじゃねー! 俺は少しも英語なんか喋りたくねーよ!」

と叫ぶためにも、私は英語教師をやっているのである。私が言う分には少しも言い訳に見えないはずであるから。
ああースーッとするぜーーっ!!!

このシリーズはこれでおしまい。来週は雑談です。
今週の金曜日はいつもの文法放送。新しいシリーズは再来週の月曜日です。

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