苦手なりの受験英語(アルク版)

雑談:単純な勘違い

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前回のシリーズの余談的な話。

英会話好き(英語好き)=英語の先生
 英米人と英語のぶつけ合い > 英語の意味を理解する
<話す内容よりも、英語が英米人に話せればそれよい。意味なんか曖昧でかまわない。それで十分嬉しい>

英会話嫌い(英語嫌い)= 私
 英語の意味を理解する >英米人と英語のぶつけ合い 
<話す内容が気になる。ちゃんと相手の話す内容を理解したい。理解しなければコミュニケーションではないし、相手に失礼極まりない>

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英会話好き(英語好き)=英語の先生
 とにかく、英米人と話す体験が大事だと考える。
  英米人と話す=喜び
 なので、話す内容は二の次。意志なんか伝わらなくても喜ぶ

英会話嫌い(英語嫌い)= 私
 とにかく、英語を理解したい。
  英語で意志を伝え、それがちゃんと伝わっているかどうか確認したい。
 ところが、自分が正しい英語を使っている自信がない。相手もなんと言っているかさっぱり分からない。

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英会話好き(英語好き)=英語の先生
 英語嫌いな生徒にも、いち早く「英米人と話させる体験を積ませよう!」
 と躍起になる。
  そうすれば【どんな生徒でも】喜ぶはずと考える。
         ↑ここが大いなる勘違いである

英会話嫌い(英語嫌い)= 私
 「英米人と話したくない! 逃げたい!」
 と躍起になる。
  話したころで、自分の意図は英米人に伝わらないだろうし、自分も英米人がなんと言っているか分からない。だからお互いに失礼だ。

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私の中学・高校は少し特殊で、英会話の授業が豊富に組み込まれていた。

英会話の先生は授業中に一生懸命、生徒に「アメリカ人の英語の先生」と話させよう、話させよう、としていた。
私は授業中「当たるな! 当たるな!」と念じていた。

当てられたときは地獄だった。「アメリカ人の先生への失礼さ」しか感じなかった。
もちろん、満足に英語を言えなかったし、アメリカ人の先生も私になんと言っているかさっぱり分からない。
できない、言えない、わからない。。これ「大いなる恥」と感じまくった。

こうして英語を「アメリカ人と無理やり喋らさせられば、喋らさせられるほど」、私は英語が嫌いになった。

でも、授業中、当時の英語の先生は私によくこう言ったものだ。
「どうだマウスバード? 間違えながらでも英米人と話せた体験を積めて良かっただろう?」

私は「はい」と答えた。少しでも先生からの印象を良くしたかったからである。

もちろん大嘘である。

心の中では「ふざけんな! ゴミ! どうして俺にこんな大恥な体験をさせまくるんだ?! どこがいいんだこの野郎!!!!」と叫びまくっていた。

こうして筋金入りの英語嫌いが出来上がった。

私は大学1年のとき、1週間だけ英語がペラペラになった。だが、いち早くこの能力を俺は捨てた

よく「もったいない」と言われる。私はそうは思わない。俺にとっては「嫌な能力」だった。こんな「嫌な能力」はとっとと捨て去りたかった。

私が「英語を話せる能力」を「嫌な能力」と感じるのは
⇒「中学高校でアメリカ人のALTと話させられ体験を山ほど積まされ、それを「良かった」と英語教師に無理やり言わされた所為」だと思っている。

私の生徒にはそんな思いをさせたくない。私の生徒には「理解」を重点においた授業をしている。

来週も雑談です。しばらくは月曜日に雑談が続きます。

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