「高校の英語の授業を英語でしたら」の続きです。
今日は「現場を知らぬ偉い人の妄想(ファンタジー)」を紹介します。
今、日本で「高校の英語の授業を英語でしよう」としている偉い方は、たぶん崇高な理想、ちがった、幼稚園レベルの妄想を持っていると思います。
概ね↓こんな考えをお持ちなのではないでしょうか?
・日常レベルで英語が普通に普及している国は、高等学校で普通に英語で英語の授業がなされている。
・つまり高等学校の英語の授業が英語でできるレベルでなければ、英語が普及しているとは言えないではないか!
・中学ならばともかく、高校になったら英語で授業ができるはずである!
・実際そのようにしている高校は既にある。つまり可能である。
・英語の授業なのに、英語で行われないのはそもそも変ではないか!
・英語の普及のため、高等学校で普通に英語で英語の授業がなされるべきである!
ま、こんな感じじゃないですかね?
いやあもう、素敵な妄想(ファンタジー)をありがとうございます…という感じです。
きっと、太平洋戦争の開戦決定もこんな感じで決まって実行されたんでしょうな〜と思いました。
大戦前、日本の参謀本部の「現場を知らぬ偉い方々」の考えは
日本ならアメリカと戦っても勝てるはず、という過信、いや「思い込み(信念)」があった。
だったら戦うべきだ、開戦やむなし!
アメリカの非道を正すべし!
という結論になったような素地があったはずです。
その結果はどうなりましたかね? どれだけの若い命が失われて、かつ、負けたのでしょうか?
これも同じじゃないですかね?
つまり、文部科学省にいる「現場を知らぬ偉い方々」の発想は
今の日本なら高等学校の英語の授業が英語でできるレベル、という過信、いや「思い込み(信念)」がある。
だったら、そうすべきだ! 英語の授業が英語ですべきだ!
もっと日本で英語を普及させるべし!
って感じじゃないですかね? (邪推ですけどね)
結果はどうなるでしょうね…
もっとも、彼らにもし↑このことを問い正すと、彼らは↓こんな感じなことを言うと思います。
「過信だと? そんなことはない! 十分できる!」
「実際、そうしている高校もある。それに英語で英語の授業なんて英会話学校では普通にしていることではないか!」
「だったら、できないほうがおかしいではないか!」
概ね↑こんな感じじゃないですかね? どうでしょう? そこの偉い人? 違いますかね〜?
私に言わせれば、ここに大きな「状況判断ミス」があると思います。これは、太平洋戦争における日本の参謀本部の「現場を知らぬ偉い方々」が抱いた「状況判断ミス」と同質だともいます。
当時の状況判断を正しく行えば、日本はアメリカと戦ったら必ず負けるのは分かりきっているはずでした。
ところが偉い方の
・「勝てるはずだ」という「思い込み」
が、状況判断を狂わせ、開戦に踏み切り、日本は負けたのです。
高校の英語の授業を英語でしようとするもくろみ」も同じだと思います。
現在の状況判断を正しく行えば、高校の英語の授業を英語でしたら、より英語が普及しないと思います。
しかし偉い方の
・「できるはずだ・その結果普及するはずだ」という「思い込み」
が、状況判断を狂わせ、高校の英語の授業を英語でしようとしているのだと私は思います。
日本は、偉い人の状況判断のミスの所為で戦争に負けたのです。
次回は「偉い人の状況判断の甘さ」について書く予定です。
次回は木曜日です。