苦手なりの受験英語(アルク版)

勉強法。苦手な人へ・指導者へ(11)

・人並みになる方法のどこがアカデミックなのか?

テーマ
文法がアカデミックと呼ばれるのはなぜか?

苦手な人へ
今回はあまり苦手な人には関係ない話かもしれない。しかし、簡単に聞いてみよう。あなたは「文法」がアカデミック(学術的)」と思えるだろうか?
この質問の意図さえ、英語の苦手な人には分からないと思う。
 英語が苦手な人にとっては

・「文法が学術的かどうかなんかどうでもいい」
・「そんなことより、とにかく楽に英語が「分かる」方法を教えてくれ!」

という感想になると思う。それで全く問題ないと思う。
しかし、英語が好きな人(指導者を含む)には、これが問題になることがありえるのだ。

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指導者へ
指導者側にまわるような英語好きの多くは
・文法はなんかアカデミック(学術的)な感じがして嫌だ。
と思う人が多いのではないか?
 特に「文法用語の羅列」が並べられたとき、「なんじゃこりゃあ、知るかあああ! こんなの! こんなん知らなくても英文はだいたい読める! だから知らんで問題ない!」と思うのではないかと思う。

・「文法はアカデミックに感じて嫌だああ」
・「そんなことしなくても、英語が【もっと】できるようになる方法を教えてくれ!」

という感想になると思う。
あなたが指導的な立場でなければそれで全く問題ないと思う。
しかし、あなたが指導者である場合、これが問題になることがありえると思う。

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マウスバードの一言
私がよく聞かれる質問の中でこういうのがある。

●「あなたは英語が嫌いで苦手でどうしょもなかったのに、どうやって得意になったのですか?」

この質問を正確に答えるのは難しい。やったことをすべて挙げることになるからだ。
ただ「核」になったことを言うのなら一言で済む。

●文法を極めたから。

以上である。

そう答えると、英語の好きの皆様の多く(指導者を含む)から「なぜにそんなアカデミックなことをしたのか?」などと言われる。また、文法の質問にサクサク答えると「あなたはアカデミック過ぎる」と言われる。

私にはこれが疑問でならない。私は「英語が苦手な人(=低レベル)のための学習(=文法)」のことをやって得意になった。その知識(低レベルのための知識=文法)を伝えているだけである。

私は偏差値30.5から68.5まで伸ばした男だ。浪人時代の英語学習の主眼は文法であった。文法以外は「おまけ」みたいなものだった。文法は特に「偏差値30.5から55ぐらいに上げるまでの期間」、重要な役割を果たした。

 私は中学高校で満足に文法をやっていなかった。しかし浪人では夏休みまでに文法を仕上げた。

●文法を仕上げた後では
・英文解釈の授業で、
 ⇒単語と単語のつながりが分かる(それまでは毎回間違ってつなげていた)
 ⇒おかげで間違いが訂正された
 ⇒間違いが訂正されまくったので、成績が伸びた

という変遷をたどった。

 しかし、普通英語の先生になる人はどうか? 高3の時点で、偏差値は少なくても55以上、たいていは60以上であろう。彼、彼女らの多くは「文法にあまりこだわっていない(知らない)」。そんなの知らなくても「単語の数珠つなぎ」を国語力で行い、たいていの英文を読めてしまえるのである。私はこの能力を「英語の才能」と呼んでいる。

 ここで「厄介なこと」がある。こういう「英語の才能があふれる人たち」は「誰でも文法なしで英文を読める(例えば私[マウスバード]でも読める)」と思い込んでいることである。
「よっぽど変な英文ならともかくさー。簡単な英語なら、単語の数珠つなぎで誰でも意味はわかるはずだ」と信じてやまない。

果たしてそうか? 断じて違う。英語が苦手な人は「それが苦手・できない」のだ。

英語の才能がない人は、例えば
 Kumiko is thinner than Midori.

 What is war?
といった英文でさえ「さんざん考えて」誤訳することがあるのだ。
(どう誤訳したのか...はこちらを参照)

私も似たような間違いは散々しでかした。中学高校ではそういう思い出しかない。しかし、浪人時代は違う。そした間違いは、「覚えた文法知識」でようやく「なぜ間違いか・どうすれば正しい意味になるのか」を知ったのだ。そのおかげで間違いは次第に直り、その結果

・「偏差値30.5(英語がスーパーできない)」から
 という状態から、まずは
・「偏差値55(英語が人並み)」ぐらいに
 なることができた。

つまり
・「文法【英語苦手】から【英語人並み】になることができる要素
に他なからなかった。

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ところでた。

アカデミック(学術的)」とはなんだろう?
それは【専門家がさらに専門的に研究するようなこと】ではないだろうか?
ならば、言ってみれば
偏差値70以上の人が偏差値80ぐらいになる方法」がアカデミック(学術的)
ということにならないか?

それに引き換え、文法
偏差値30.5のアホが偏差値55の人並みになる方法
程度のことである。

人並みになる方法どこがアカデミックなのか? 私はとても不思議に思う。

・「文法なんざ、アホが学ぶべき低レベルな知識」。
・「長ったらしい、ろくに見かけもしない英単語の意味を覚える方」がよっぽど「アカデミック」だと思うのだが、あなたはそうは思わないのだろうか?

今週の金曜日は文法放送。この続きは来週の月曜日です。

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