苦手なりの受験英語(アルク版)

雑談:英語を話すということ

すみません。臨時で雑談ばかりが続きます。

今回は「英語を話すということ」というテーマで少し書かせていただきます。

 英語が嫌いな皆様は「英語を話すなんて誰が考えるものか!」と思っているはずです。

しかし!

 英語教育に携わる人、教科書を作る人、参考書を作る人、教育関係のお役人様などのほとんどは「英語を話したくないなんて思っている人がいるはずねーだろ!」というお考えです。彼・彼女らによって日本の「英語教育」は導かれています。

 今年から「高校での原則英語による英語の授業」が導入されました。今は「TOEFLの結果を高校卒業要件、大学入学資格要件に含めよう」という動きがあります。どちらにも「英語が聞き取れて、英語を喋る力」が試されるでしょう。これは「英会話力(英語を話せる能力)」を試そうとするものでしょう。

 つまり、昨今の英語教育の変化は「英語を話せる能力」を身につけさせよう、今まで以上に激しく変化させよう、としています。
注意:ここ30年ぐらい、既に同じ方向性(「英語を話せる能力」を身につけさせよう)で動いてきた事実はあまり世間に浸透していないのが残念です。なので「試験で英会話力を測るようにしてしまえ! そうすれば大きく変わる」という感じで、ここ数年は動いているように思います。

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 現在の私は英会話力がほとんどありません。

 別に恥ともなんとも思っていません。だってそれで困ってませんから。第一、私は英語が嫌いなんです。「英語を話すなんて誰が考えるものか!」と考えるのです。

 ただ、ものすごく稀有なことに「私には英語がペラペラだった時期がある」のです。大学1年生のとき、わずかに1週間だけペラペラでした。

ここを参照してください。

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そのころ分かったことがあります。
英語がペラペラになっているときは、日本語なんか考えない。物事を英語で考えて、それが口から出てくる」
という状態になっているのです。

こう書くと「だから英語のみの英語の授業が効果的なんじゃないか」と言い出す人がいます。
そりゃ効果的ですよ⇒もともと英語が得意ならば

私の計算だと、河合の模試で偏差値65以上の人のみが「条件にかなう人」です。そんな人、どれだけいますか?

 河合の模試で偏差値65以上の人のみ「喋るという目的達成のために、英語のみの英語の授業が効果的」と思います。そのレベルならば英単語も数多く頭に入っており、基本表現も正しく覚えているでしょう。だから訓練しだいで「物事を英語で考えることが可能」と思います。(訓練しだいです。念のため

 65未満は、条件に達しておらず、難しいと思います。65未満は非効率の極値と思います。

 「英語で物事を考える」...これは母国語の日本語で不自由がない日本人の多くにとっては、「不必要な作業」です。
そして
 「英語で物事を考える」...これは母国語の日本語で不自由がない日本人の多くにとっては、「できるレベルの人は一握り」です。

65未満の人は、単語覚えて、熟語覚えて、(個人で異なる)必要量の文法を覚えていなければ、「英語のみの英語の授業」は非効率的そのものと思います。

金曜日はいつもの文法放送。来週の月曜日の更新は1回休みます。(文法動画の情報更新はあります)
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