原因7・すぐに直せると信じている(受験生なら1点ぐらいすぐ上がると信じている)
数年前、私が内輪で英会話の練習をしていた頃の話。その時の先生は私ではなくアメリカ人。私は生徒側である。その時ある生徒は、
・「どんな場合でも頻繁に動詞を現在形」にして喋っていた。
例えば「私は埼玉で生まれました」という意味の英語を、I am born in Saitama.と言ってしまうのである。もちろん正しくは I was born in Saitama. である。
アメリカ人の先生は笑って直してくれたが、この生徒はすぐにこの癖が治らなかった。
この生徒とは実は「私」のことである。こういう癖は実はそうは簡単に治らないのである。今は治ったつもりであるが、最近は英語を喋っていないからな。いざ英語を喋ればまた間違うかもしれない。こういう癖は人によって異なる。私はたまたま過去形で言わなければならないところを現在形に言ってしまう癖があった。別の人なら、例えばいつも三単現のSをつけ忘れる人などがいる。こういう癖は「あなたが思っているほど簡単には治らない」ものである。
ところが生徒の中には「たまたま言えなかっただけだ・次は大丈夫だ」と思い込んでしまう人が大勢いる。毎回同じところでつまづいても、「たまたまだ」と思い込んでしまうのである。こうしていつまでたっても治らない。
もう1つ癖が治らない原因がある。それは「なぜその英文はそう直すべきか分からない」という「理由が分からない」という現象である。
例えば、「私は京都に行きました。私はそこに行きました。」という英語を喋るとしよう。あなたならなんと言うだろうか?
例えば、あなたは
"I went Kyoto. I went there."
と言ったとしよう。
私が「ちゃんと正しい英語に直すアメリカ人の先生」であったら。「No!」と言って
"I went to Kyoto. I went there."
と直すだろう。
仮に、以後のあなたは I went to Kyoto.とI went there. はちゃんと覚えて to の入れる入れないを正しく使い分けられるとしよう。
では、このとき、似たような場合はちゃんと使い分けられるだろうか?
例えば「私は家に行きました」と言う場合
I went to home.
I went home.
あなたはどちらが正しいか分かって、正しいほうを喋れるだろうか?
もっと言えば、「どういうときに to がつき、どういうときに to がいらないか」が分かるだろうか?
こういう区別は、普通のアメリカ人では説明できない。彼らはただ「この場合は to がいる」もしくは「要らない」と個別にしか説明できない。ではこの時あなたは似たような意味の英語を喋るとき「いい加減に to をつけたりつけなかったりする」はめになる。つまり「間違う」のである。
なお、正解は
× I went to home.
○ I went home.
である。どうしてこうなるかはちゃんと理由がある。home が副詞だからである。このブログならここら辺を最後まで読むと詳しく説明が書いてある。
しかしこのルールがたとえ理解できたとしても、いつでも正しく使い分けられるか? これが至難の業なのである。私が現在形で言ってしまう癖がなかなか治らなかったのと同様に、こういう「一度正しいと思ってしまった方」はなかなか直らないのである。
あなたが受験生ならこの手の問題で「正しいものを選べ」みたいな問題にたくさん出くわす。そのたびに毎回間違うのである。実はこういう「いつも間違う癖」を逐一直すことで、ようやく成績は「1点ずつ」上がるのである。しかしそんな簡単には直らない。1点上げる努力は並大抵のものではないのだ。そして試験物は「1点」で合否が決まる。合格点が「81点」ならば、「80点」は不合格なのである。
金曜日はいつもの文法放送。この続きは来週の月曜日です。