苦手なりの受験英語(アルク版)

文法の必要性の有無(15)

今回で大まかにまとまります。
このシリーズの話題は「文法の必要性の有無」です。
前回を踏まえて考えます。↓このように言えると思いませんか?

英語の才能があふれる人
・こまごましたこと(と思えること、すなわち【文法】)を考えることが苦手であり、不快である。
・そんなもの知らなくても読める
 ⇒文法は不要

英語の才能が中程度にある人(才能中間派)
・文法を不快に思う人、そうでもない人、どちらとも言えない人、などさまざまなケースの人がいる。
・簡単な英文であれば、覚えている(チャンク)を活用し脳内でフォーマットし、文法など知らなくても文が読めてしまう。
・複雑な英文の場合、上手く行かず困る。
 ⇒複雑な英文の場合、文法の知識が必要

英語の才能がない人
・勉強しようと思ったときに、どうしてもこまごましたこと(と得意な人に言われてしまう部分、すなわち【文法】)を気にしてしまう。この疑問(すなわち文法的な疑問)が解決しないと気持ちが悪い。
・例文をまったく覚えていないので、脳内で例文に基づくフォーマットが出来ない。
 ⇒文法が絶対的に必要。

つまり、この話題の1番最初のログで私が提示した↓結論、
 「文法の必要度は人によって異なる」
 「文法マニアになるほど十分必要な人がいる一方、全く不要な人もいる中くらいに必要な人もいる」
 「概ね、苦手な人は必要で、好きで得意な奴ほど不要!」
という具合になるわけです。

に、も、か、か、わ、ら、ず、、、

皆さんのほとんど
「自分の体験や感覚が世の中の人の全員に当てはまるはずだ」と考えてしまうのです。
つまり、

あなたが英語の才能があふれる人ならば
 ⇒「世の中の人は全員」文法は不要と考える。
あなたが英語の才能が中程度にある人(才能中間派)ならば
 ⇒「世の中の人は全員」複雑な英文の場合、文法の知識が必要と考える。
あなたが英語の才能がない人ならば
 ⇒「世の中の人は全員」文法が絶対的に必要と考える。

という傾向があるわけです。

ところで、普通、英語が得意で、好きな人はどんな人でしょう?
「英語の才能があふれる人」
ではないでしょうか?

では普通、世の中で「英語の勉強法」のようなものを主張する人はどんなタイプの人でしょう?
「英語の才能があふれる人」
ではないでしょうか?

では、次のうち、世の中でよく見かけやすい意見はどれになるでしょう?
(1)文法は不要
(2)複雑な英文の場合、文法の知識が必要
(3)文法が絶対的に必要

(1)ですね
こうして「文法が不要」という意見ばかりが「多数意見」として認知されるのです。
こうした現実が英語の苦手な人にとって「どれだけ不都合な状況であるか」分かっていただけるでしょうか?

いかがでしたでしょうか?
概ね今回でこの話題の話は終わっているのですが、次回、おまけ的な話を2つしますね(それで今回の話題は終わりです)。
その1つは「英語の才能がない人はどういうときに文法が気になるのか?」
もう1つは、「それでも英語の才能がある人は……」
というお話です。お楽しみに。

次回は木曜日の更新です。

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